歯科経営 池袋ハプラス歯科東日本大震災10年を迎えて[2021/03/11]
東京で4円の歯科医院を運営しているハプラス歯科の木村です。
本日は池袋で、全顎的な大きい手術をさせてもらっていました。
早いもので東日本大震災から今日で丸10年が過ぎました。スタッフの何人かと震災の時にどこで何をしていたのかと話しましたが、ある先生はまだ研修医をしていたり、またあるスタッフは中学生、まだ小学生だったと言うスタッフもいました。当時私はと言うと、前職場であるアイデンタルクリニック新宿院の雇われ院長として、新宿におりました。
地震の時にスタッフルームにいた私は、強い揺れを感じ本当に長いことものすごく揺れて、棚の上からパソコンが落ちてきたりそれが同僚に当たったりするのを、目撃しました。同僚の先生2名がインプラントの手術を2件行っていて、うち一見は静脈内鎮静法家で処置をしていました。幸い電源はすぐ落ちなかったので、手早く手術を終わらせて、麻酔を覚まし、外に出られるものは、外に出て余震などに備えました。電車が止まって帰れない患者様にはクリニックで止まっていただいて、私たちスタッフの何人かもクリニックで止まりました。
私たちスタッフの何人かもクリニックで止まりました。
それから計画停電であったり、原発事故であったり、
様々なことがあり、
私もいちどきりの人生であるから失敗するかもしれないが挑戦してみようと思い、独立するにいたりました。
池袋ハプラス歯科を立ち上げてからは自分が思った以上に患者様にご来院いただき、スタッフも増えたので、たまに震災のことを思い出すにつけ、大きな災害があったとしてもどこかのクリニックは生き残るようにというのもあり、拠点を4つにして分散させたこの10年でした。やはり3月11日は自分が体験した恐怖の中でも結構上位に上がる体験だったので、折に触れどう災害から皆の身を守るかを考えます。
地震や災害に強い会社を作りたいと思っています。災害があった後も、スタッフや患者様が、戻ってこられるように、少しですが体制を整えては来られました。幸いにして命が残った私たちは、命の尊さをこの日ぐらいは感じて、1日1日、一人一人一生懸命診察してゆくことが、犠牲になられた方々への供養かと思います。
福島から避難してこられた患者様達をけっこう診察させていただきました。新聞を読むといまだに避難生活で故郷に戻れない方々が何千名といらっしゃるそうです。全紙に目を通し、やはり被災した方一人一人に大きな悲しいドラマがあったことが読んでいてつらいです。皆様に平穏な日々が戻られることを願いますとともに、たまに診察させていただく際には丁寧に処置していこうと思います。
池袋ハプラス歯科 木村