その他歯医者がなぜ先生と呼ばれるのか。[2020/05/06]
連休でぼうっとした時に表題のことを思い返しました。
25歳で初めてDrになった時は先生と呼ばれものにすごく違和感がありましたが、5年くらいでちゃんと稼げるようになり、先生稼業がしっくりくるようになり、板につきました。
そもそもなんで医者も歯医者も弁護士も日本では先生と呼ばれるのか。
英語圏だと医者はdoctorでteacher とは呼ばないですよね。
なぜか日本だと一括りに先生とされる。
先に生まれる、で先生。
日本は敬老精神や年功の精神が発達しているので、先に生まれた人は皆敬うべき存在として先生と呼ばれているのでしょうか。
最近ですと私は、
お医者さんたちも学校の先生と同じく、教える仕事であるからだと考えるようになりました。
16年歯医者をやってきまして、振り返ってみると結構いろんな人を教えてきたなと思えます。患者さんにももちろん教えますし、同僚の助手や衛生士、後輩のDrや技工士など。
特に同業の歯科関係者は、大体4周りくらい教えてきたなと言えます。
初めの3、4年はほぼ教わりました。
その後、年下が入り、
中学や高校と同じく、一回3年とみて、かける4で12年くらい教えた感じかと。
幸いなことに、たまに先生に教わってよかったとか、先生のやり方をみれてよかったと言っていただけます。
基本はどんどんやらせますし、放置する主義なのですが、ありがたいことです。
ちょっと前に、教えることに結構疲れてしまい、無言でやってしまった時期がありました。
理由は教えて、割とできるようになったかな?という人ほどいなくなって行くものだからです。なら教えるのは、学校であれば本当はお金をこちらが頂かないといけないくらいだから、会社でそれをやるのは損な役回りだなと。出来る人を買っちゃった方がトータルだと安いし早いし確実。
サッカーでいう欧州のクラブ。
野球だと巨人かな?
しかしその考えは経営としては合理的でも、先生と呼ばれるなら心がけとしては誤りですよね。
先生の気持ちならば、手塩にかけて伸びた生徒、例えば甲子園に出て活躍するような生徒、であったとしても自分の前からいなくなる。そしてあわよくば越えて行く。それこそが先生の喜びなはずですよね。
ちょっと前に教えるのもういいかなと思い始めていましたが、休んでちょっと感覚が元気になりました。
そんな無駄な教える努力こそが、組織の競争力であると信じたいものです。
私も先生として、教えた事をものにしてもらい、盗んでもらい、そしてその人が成長した頃に居なくなって行く、その頃また新しい人が入っていきまた教え始める。
もっと言えば周りの歯医者にいろんな事をパクられる。
その繰り返しこそ私の喜びであると思いたいものです。
ハプラス歯科 木村